utopistics

日々のことを。

午睡

自転車を押しながら住宅街を進む

もう少し先です、そこを右ですと

案内しながら前を歩くひとを

少し背丈を伸ばした影が伴走する

ガラガラと門扉を開ける音、チャイム

お暑いところすみませんと

年老いた女性が腰を曲げる

きれいに手入れされた 深い色の柱

二つの声のつぎつぎのおしゃべりを

ねこは丸くなって聞いている

かつて  あった景色は

かつて  失われたのだろう

畳のひだまりを ねこはすり抜け

親子は 顔を合わせないまま

笑みをこぼす

老婆は揃いのティーカップに紅茶を淹れる

いつか 閉じ込めた景色は

いつも ここにあったように

いつも 多分ずっとあったことを

親子が笑う

ねこはまた横をくぐり

窓辺に丸くなって午睡する

ありがとうございました

深々と頭を下げる人に会釈し

そこの角を左に曲がる

ずっと前は雑木林でした この辺り

指し示しながら 歩くひとを

さっきより長くなった影が伴走している

 

不知火と

どうしたって遠くの方から

光ってくるんだ  

まっ黒い海のせり出す先と

烏賊漁の船のほろほろの灯と

一時間遅れの朝焼けと

白くけぶった空と海の

境目に浮かぶオレンジの浮子と

ざあーっと潮の引いた浜の面と

藤壺は素知らぬ顔で

顔を出したりしまったりして

いつだってずっとこっちに

光ってくるんだ

ボルタンスキーと死の受容プロセス

ボルタンスキー展に出かけてきた。

彼の作品を見に行くのは二〇〇九年越後妻有(最後の教室)、二〇一〇・二〇十三豊島(心臓音のアーカイブ)以来だ。

国立新美術館のLifetimeは初期のブルース=ナウマンのような、まさに原題どおりに吐きそうな映像から始まり(Tateで随分前にブルースの“あの道化師のビデオ”を見たときの気分といったら!)全体の展示に不穏な重さを乗せている。

 

たくさんの顔が白く揺らぐ大きな空間に、これが全て日本人の顔だったらば、自分はどう感じただろうと思いながら歩いていく。ボタ山に積み上げられた黒い服は東北の海あるいは鳥の死骸のようにも見えた。

 

けれども、アニミタス-白 の鈴を前にベンチに腰掛けていると、ぼうっとする耳に黒いコートが死について尋ねる声が聞こえてきて、私は不思議と安堵していた。私はやっと、自分の中でずっと話せてこなかったことについて、悲しめるようになってきたのかもしれない。

 

ボルタンスキーの近年の作品はキューブラー=ロスの死の受容プロセスを体験させるように思う。

 

エスパス  ルイ・ヴィトンに移動すると、アニミタスの二作品を独り占めすることができた。干し草のにおいと、風鈴と、緑の声がして、光の差す空間は懐かしい希望を感じさせてくれた。至極僭越で本当のところは全くもって見当違いかもしれないが、ボルタンスキー自身が自らの死と生を受容できるようになってきたのならば、とても嬉しい。

ゆで卵と伯爵

あるところにゆで卵の大好きな伯爵がいらした。

給仕の用意するつるりとしたゆで卵を

毎朝の楽しみにしていたが

ある日、給仕は都合で実家の里に帰ってしまった。

 

伯爵は困り果てたが

いつまでもないものを嘆いてもいられない。

料理などしたことがなかったけれど

自分でやってみることにした。

 

しかしゆで卵を茹でるとき

どうしても殻にひびがはいってしまい

そこにフリルができてしまう。

つるりとしたゆで卵を完成させたいが

はて、どうしたものか。

ゆで卵の大好きな、ゆで卵伯爵は

毎日まいにち、ソースパンに水を入れ

卵をするりと滑り込ませ

コンロに火をつけるのだが

茹で上がるとやっぱりひびが入ってしまう。

出来上がりが給仕の作ったものと違うため

伯爵は気持ちよく食べることができなかった。

 

「ゆで卵は、つるりとしていなければ」

ゆで卵伯爵は、たまご図書館で文献をあたった。

茹で時間は何分に。湯の温度はこれくらいに。

はじめは水から。箸でころがしつづけること。

世界中の者どもがいろいろ好き勝手に書いているが

どれもどうも伯爵にはうまくいかない。

台所に残された給仕の砂時計でぴったり計りながら

ゆで卵を一人作るのは孤独な作業だったが

出来上がりが給仕の作ったものと違うため

伯爵はこれも好んで食べることができなかった。

 

それからどれくらいか、伯爵は

とうとう究極のレシピを見つけることができた。

シェフのおすすめ、絶対失敗しない。

そこに書かれていた言葉は なんと、

 

「ゆで卵は、茹でない!」

 

なんでもあらかじめ沸騰した湯に

(卵を熱湯につけるなんて!)

卵を入れたら、すかさず火を止めるのだという。

これは困った。ゆで卵伯爵からすれば

茹でないゆで卵は、はたしてゆで卵というのか。

ゆで卵というのは

あのつるりとした白肌とあざやかな黄身

そしてなんと言ってもその名前がいいのだから。

 

とまどいながらゆで卵伯爵はコンロに火を入れたが

5分ほど悩んでいるうちに沸騰してしまった。

伯爵は目をつむりながら卵をすべりこませる。

「卵、やけどしたんじゃないだろうか」

伯爵は気が気でない。

せめて、おいしくなれるように

給仕がいちばんおいしい具合にぴったり仕上げていた

いつもの砂時計をコトリとひっくり返した。

 

さて最後の一粒の砂が、チチ、と小さな音を立てて落ち

(さして伯爵が悩み切らないうちに)

とうとう茹でないゆで卵ができあがった。

しかめっ面のまま、伯爵はソースパンから卵を取り出す。

「果たしてこれでよかったんだろうか」

なんだかとても申し訳ない気持ちになりながら

コン、コンと卵をテーブルに当て、殻をやぶった。

 

すると。

つるり。

 

みごとに美しいむきたてのゆで卵があらわれた。

ゆで卵伯爵は顔を上気させて思わず声をあげた。

なんてこった! これは正真正銘のゆで卵じゃないか!

ゆで卵伯爵ははやる気持ちをおさえながら

愛おしそうに手で包んでつるりとした肌触りを確かめた。

それからそうっとひらいて

ゆで卵をかぷりと口に運んでいった。

おいしい。

もちろん黄身は、とろりと明るく

伯爵の大好きなあの半熟に仕上がっていた。

 

はたしてこれはゆで卵というのか。

それはどうでもいいじゃないか。

とうとうお気に入りのものが見つかったならば

名前がなんであっても。

 

 

梅(2013改・再掲)

裏のお寺の梅が満開にきれいでiPhoneで撮っていたら、

撮ってあげましょう、と

見知らぬ初老の女性に声をかけられ

今年の梅とわたしを撮ってくださった。

わたしは自分の顔が好きではなくて、

一人で写ってる写真があまりない。

 

「記念になりますからね」とおっしゃってたことが、

何かすごく残っている。

 

東陽町の倉庫

いわきの女の子

山元町の畔のひび

志津川病院の職員の方

バスで一緒の高校生

いちごとおにぎり、ローソン

信号の消えた真っ暗な道を走って帰る

行けなかったライブ

除染中の看板が立ってた校門

再会の叶わなかった友人

たくさんのおそうめん

バス会社の社長さん

苗をもらったこと

海岸を見たこと

風が強かったこと

再会できたこと。

 

わたしは来年も梅を見ようと思います。