utopistics

日々のことを。

ゆで卵と伯爵

あるところにゆで卵の大好きな伯爵がいらした。

給仕の用意するつるりとしたゆで卵を

毎朝の楽しみにしていたが

ある日、給仕は都合で実家の里に帰ってしまった。

 

伯爵は困り果てたが

いつまでもないものを嘆いてもいられない。

料理などしたことがなかったけれど

自分でやってみることにした。

 

しかしゆで卵を茹でるとき

どうしても殻にひびがはいってしまい

そこにフリルができてしまう。

つるりとしたゆで卵を完成させたいが

はて、どうしたものか。

ゆで卵の大好きな、ゆで卵伯爵は

毎日まいにち、ソースパンに水を入れ

卵をするりと滑り込ませ

コンロに火をつけるのだが

茹で上がるとやっぱりひびが入ってしまう。

出来上がりが給仕の作ったものと違うため

伯爵は気持ちよく食べることができなかった。

 

「ゆで卵は、つるりとしていなければ」

ゆで卵伯爵は、たまご図書館で文献をあたった。

茹で時間は何分に。湯の温度はこれくらいに。

はじめは水から。箸でころがしつづけること。

世界中の者どもがいろいろ好き勝手に書いているが

どれもどうも伯爵にはうまくいかない。

台所に残された給仕の砂時計でぴったり計りながら

ゆで卵を一人作るのは孤独な作業だったが

出来上がりが給仕の作ったものと違うため

伯爵はこれも好んで食べることができなかった。

 

それからどれくらいか、伯爵は

とうとう究極のレシピを見つけることができた。

シェフのおすすめ、絶対失敗しない。

そこに書かれていた言葉は なんと、

 

「ゆで卵は、茹でない!」

 

なんでもあらかじめ沸騰した湯に

(卵を熱湯につけるなんて!)

卵を入れたら、すかさず火を止めるのだという。

これは困った。ゆで卵伯爵からすれば

茹でないゆで卵は、はたしてゆで卵というのか。

ゆで卵というのは

あのつるりとした白肌とあざやかな黄身

そしてなんと言ってもその名前がいいのだから。

 

とまどいながらゆで卵伯爵はコンロに火を入れたが

5分ほど悩んでいるうちに沸騰してしまった。

伯爵は目をつむりながら卵をすべりこませる。

「卵、やけどしたんじゃないだろうか」

伯爵は気が気でない。

せめて、おいしくなれるように

給仕がいちばんおいしい具合にぴったり仕上げていた

いつもの砂時計をコトリとひっくり返した。

 

さて最後の一粒の砂が、チチ、と小さな音を立てて落ち

(さして伯爵が悩み切らないうちに)

とうとう茹でないゆで卵ができあがった。

しかめっ面のまま、伯爵はソースパンから卵を取り出す。

「果たしてこれでよかったんだろうか」

なんだかとても申し訳ない気持ちになりながら

コン、コンと卵をテーブルに当て、殻をやぶった。

 

すると。

つるり。

 

みごとに美しいむきたてのゆで卵があらわれた。

ゆで卵伯爵は顔を上気させて思わず声をあげた。

なんてこった! これは正真正銘のゆで卵じゃないか!

ゆで卵伯爵ははやる気持ちをおさえながら

愛おしそうに手で包んでつるりとした肌触りを確かめた。

それからそうっとひらいて

ゆで卵をかぷりと口に運んでいった。

おいしい。

もちろん黄身は、とろりと明るく

伯爵の大好きなあの半熟に仕上がっていた。

 

はたしてこれはゆで卵というのか。

それはどうでもいいじゃないか。

とうとうお気に入りのものが見つかったならば

名前がなんであっても。